5年目にして初めて知ったブログ機能

今週のお題「外でしたいこと」

 

というわけで、はてなブログには毎週今週のお題というものがある事にブログ歴5年目にして初めて気付いた。あまりの不定期更新故に、かつては自分の知らない人でも割と読んでくれていたものの、今となっては身内にだけ読まれてたまに面白いと言ってもらうエコーチェンバーブログとなっているこのブログも定期更新が出来るかもしれない。というわけで「外でしたいこと」について語りましょうか。

 

かつてクイズノックの乾が「か」で始まる家でしたい事というお題で海水浴と答えて物議を醸していたが、彼の理屈では家では基本は出来ないからやりたいという事らしい。周りからの納得感は得られないだろうが理屈としては十分に筋の通ったものであるし、自分もそちら側の人間ではある。実際、「外でしたいこと」というお題になれば共感者も増えるのではないだろうか?なぜ人は青姦をするのか。なぜ露出狂は外で裸になるのか。それらは本来外で出来ない抑圧からの解放欲求に他ならない。外でしたい事といって外で出来る事を答えても仕方がない。したいならやればいい。やりたい事を何のしがらみもないにも関わらずやらないのはただの弱者。流行りの言葉を使えばネギ豚である。つまり、ここで答えるべきは本来家でしか出来ないやりたい事を当てはめる以外に考えられない。

そうなるとやはりびっしり亀頭に溜まったチンカスを洗いたいとかになるのだろうか。以前チンカスの成分について調べたときにどうやらチンカスには細菌が含まれているらしい。それが性病の原因にもなるとか聞いたことがある。そこでもし仮に外でチンカスを洗えばチンカスが洗い落とされて落ちた土には十分な水分と細菌が含まれるという事になり、そこから新しいキノコが生えてくるのではないかという仮説が生まれた。包茎の僕には胞子はないが包皮はある。ちんぽからキノコが生まれる。文字にするだけでロマンが溢れる。外でチンカスを洗えば自分の分身となったキノコが生え、それが他の家庭の食卓へと並ぶ。

もし森山直太朗のさくらに合わせて替え歌を作るなら

 

外で チンカス 洗って育つ

キノコを食べてよ ドヤコンガいのり

 

と歌いたい。是非、読者のみんなも“外”で歌ってほしい。

 

 

 

 

 

 

24歳の童貞芸はダサいという話

初めてブログを書いたのが19歳の3月頃なので、ブログ歴としては5年になるのだろうか。もっと遡れば高校時代にはよう実の櫛田桔梗のような同級生の悪口をブログに書いていたり、中学時代には原発問題やアベノミクスのような政治的な話題に切り込むブログを書いていた痛い時期もあるが、はてなブログ自体はそろそろはじめて5年になろうとしている。

といってもまともに更新していたのは最初の2年だけであり、2020年には渡部建の多目的トイレSEXが羨ましく屈辱射精した話を没にしてしまって以降、屈辱射精の賢者タイムからか更新が途絶えてしまった。前回のブログからも気付けば1年経とうとしており、自身の感受性の衰えは楽天に帰ってきたマー君を想起させる。野球がわからない人に向けて言えば晩年の内村航平の方がわかりやすいだろうか。あるいは2015年有馬記念ゴールドシップだろうか。個人的には4年前おしっこ飲みたいとブログでも言っていた本田望結の衰えくらいが1番しっくり来る。4年前はまだJKでありながら赤ちゃんを産みたそうな身体をしていたが、最近の本田望結は女芸人にしか見えず心なしかおしっこも臭そうだ。マンゴフラペチーノのような味だったあの時の本田望結はもう居ない。話が脱線してしまったが、今回取り上げたいのはタイトルにもある通り24歳の童貞芸はダサいという話だ。前回、ヤラ20を過ぎれば遅刻確定した登校の状態でヤラ21だろうがヤラ24だろうが変わらないといったことを言った記憶はあるが、そこに補足するなら童貞芸の旬は20歳という事である。「おいおいSEXせずに成人迎えちまったよ」というこっち界隈にしてみれば初々しさがより童貞らしさを際立たせ1つの芸として成り立っている。しかし24歳にもなると20歳の頃にあった初々しさも童貞らしさも薄れ、そこに存在するのはただ何もして来なかったおじさんである。昨年末、スペースにいきなりクリスマスも大晦日もボッチなんだけどとゲラゲラ笑いながら僕のスペースで滑り散らかしていた女を見て、何も無い事を自虐する事の芸の無さを痛感したものであるが、同時に旬が過ぎた童貞芸もはんにゃの川島くらい芸が無い事に気付かされた。因みにはんにゃ川島は一時期川島ofレジェンドという名前に改名していたのだが、改名した時期がAPEX legendsが流行り始めた時期と若干被るのでAPEX芸人の道へ行ったのかと思いきやLeague of Legends(通称LOL)のlegendsから取っているとわかっただけで一切の面白いエピソードを拾い出せなかった。思わず出てきた「24歳の童貞芸かよ」というツッコミが4畳半のゴミ屋敷に響き、振動で積み上がったシコティッシュの山が雪崩を起こし床にあったcomic LOが行方不明になってしまった。

ここまで書いている途中で何の話をしていたか忘れてしまったのだが、ここだけの話コンドームも付けたことないので、TENGAをコンドーム付けて使う事で3回くらいTENGAを再利用していた高校時代の孝仁君よりも遅れている。コンドームの歴史について調べると紀元前3000年頃からヤギや豚の盲腸をコンドームとして利用していた歴史があるらしく、自分のちんぽは古代オリエントよりも古い生きた化石と言ってもいいのかもしれない。これからはクイズの問題で「生きた化石」という単語が登場してもシーラカンスと答える奴は2流扱いされる事は間違いない。

近況報告

お久しぶりです。約2年ぶりの更新となります。このブログを拡散していたTwitterアカウントが凍結してしまったので、以前読んでくれていた読者がこのブログを読んでくれるかわかりませんが、久しぶりにブログを書きたい気持ちが出来たので書いていこうと思います。2年間休んでた理由は特にありませんが、そもそも自分のブログ自体、書きたいものを書き連ねると同時に面白いと評価されて悦びを得るという己の欲望に満ちた活動だったので、Twitterが凍結すればブログも停止するのは至極当然という話です。

さて2年も空いたということで、少し近況を話そうと思います。おそらく一番読者が気になりそうなのは、童貞を卒業したかどうかという所でしょうか。

 


ご想像にお任せします。

 


なんて白けるコメントはせずに、正直に言えば現在ヤラ23です。ただし、格の違いで言えばヤラハタ時代が1番最強だったかもしれません。以前、ヤらずに20歳を迎えると遅刻確定した瞬間の登校と同じで焦らなくなるという喩えをした事がありましたが、まさしくその通りでヤラ21もヤラ23も僕に言わせれば誤差で遅刻には変わりありません。8時半始業で9時に登校した奴と6限目に登校した奴の出席点は同じなのです。この理論で言えば、ここからは遅ければ遅いほど得かもしれませんね。70歳で初体験して体験した事のない快楽と動悸でうっかり死んでしまえば、相手の女性は殺人罪になるのでしょうか。少し同情します。女性側の心理に立つと老人とヤっていた事が社会にバレるか、自身の社会的地位のために裸で射精しながら死んでる老人をバラバラにして犬にでも食わせるか迷うところでしょう。

冗談が長くなりましたが、先ほど述べたヤラハタの時の格の違いという話ですが、それは単純に親しみのある女性との交流量の差です。最近は性別を勝手に決めるだけで差別になるらしいので、『おっぱいがあって、下に穴が2つあって、月に1回股間から血が出る、孕めば母乳が出る人間』のことを女性と言います。欲を言えば、『穴モテと気付かずに、何故かちょっと有名な人間とヤった自慢を裏でしがちな人間』や『若い時代はパパ活や水商売で金を稼ぎ、歳を取れば私たちは買われたとブログを書くまんこ二毛作が出来る人間』や『ユーモアが足りず、身体を張った芸かリアルな下ネタか日常のウザい女のモノマネでしか笑いが取れない方の性別』と言った定義も加えたかったのですが、今回は身体的特徴のみを定義として採用しました。しかしこの定義では、心の乳がん患者が私は女性じゃないのかと泣いています。これがLGBTが産んだ残酷な現状です。あ〜、おそろしや。おそろしや。

また話が逸れてしまいました。改めて話を戻すと、ヤラハタと言っても2種類存在し、全く女性経験がなく20歳を迎えた者と、女性経験こそあったもののヤらずに20歳を迎えた者がいます。前者に関して言えば、ヤラハタなんて当たり前の話で何も凄くないわけですよ。ただ異性と関わらなかっただけで、そこに意志なんてある訳ありません。貧乏人の粗食と豊富秀吉の粗食とでは全く意味が異なるのと同様です。では、自分が20歳ごろの時はどうだったでしょうか。振り返れば、僕が19歳や20歳の時はそれなりにインターネット上で知名度もあり、中にはそこそこの額を貢いでくれる女性フォロワーも居ました。そのお金は全てdlsiteと受験参考書に消えたわけですが、賢者タイムの時に買ったことを後悔しがちなdlsiteの作品やどうせ使わない受験参考書なんて買わずに、その女性が住んでいる愛媛県まで足を運びヤりに行くことが出来た訳です。つまり、僕にとっては閉区間[19歳,20歳]で童卒可能だったわけです。しかし、僕はそれを選ばなかった。ここに明確な意志が存在しています。しかし、21歳以降はどうでしょうか。大学はオンラインで友達もほとんど出来ず、サークルも入らず、アルバイトも女性とは事務的な会話以外せず、ネットの繋がりも多浪の男ばかり。僕の意志とは関係なしに今現在、童卒不可能の区間にいるわけです。そういう意味でヤラハタ時代の自分は格が違いました。今はただの弱者男性です。

因みに、その貢いできた女とはどうなったかと言えば「私のこと好き?」というLINEに「好きじゃないです😩」と返して、最後はレスバになった挙句ブロックされてしまいました。もう少し我慢すれば、1万円の妊娠6ヶ月の妊婦が母乳垂らしながら出演しているアダルトビデオが買えたと思うと嘘でも「好きどす!」とか送っておけばよかったという後悔もわずがにあります。

 

 

 


といった感じで近況報告でした。

そういえば、1番直近のブログの「女に裸を見られている」冒頭で、25キロ太ったという話がありましたが、あの当時は確か107キロありました。そこから110キロまで太ったわけですが、1年前からダイエットをはじめて、今ちょうど80キロです。特に苦労もしなかったので、ダイエット記事を書けば儲かりそうですが1番需要がありそうな女性が僕の文章を読んでくれるのだろうかという疑問はあります。

女に裸を見られている

3年以上に及ぶ大学受験の間で25キロ太った僕のお腹はボッコリ膨れ上がり、妊娠線のような肉割れを抱えていた。流石にこれはまずいと思い、9月からスポーツジムへと通い始めたのだが1つ問題があった。

あろうことか更衣室と大浴場の清掃員がおばさんなのである。要は女だ。メスだ。もし僕が20センチのズル剥けチンポを勃起させて歩いていれば、その清掃員は恐らく若い時代に体験したヤリマンライフのイキ狂いを思い出し、うっかり閉経した子宮がまた排卵し始めるに違いない。しかし、残念ながら21歳包茎童貞の僕が勃起させた所で勃起して尚皮の被っているちんぽに清掃員も哀れみの表情以外浮かべる余地がない。

昔、知り合いのオフパッカーがこんな言葉を口にしていた。

 

「自分の裸を見られる事に抵抗がない。ホテルに入ったらすぐズボンを脱ぐ。」

 

それが平均以上のズル剥けちんぽを持っている故の自信か、人は誰しもいずれそう感じるようになるのか僕にはわからない。ただ、少なくとも今僕は50過ぎてそうな清掃員のおばさんにさえ、ちんぽを見られるのは恥ずかしいと感じている。

これが21歳まで童貞を貫いた奴の成れの果てだ。童貞が嫌なら風俗へ行けばいい?登録したらすぐヤれるアプリに登録?そんなアドバイス受けた所で、お前らみたいな恥ずかしげもなく人前で裸を晒せる羞恥心を失ったチンパンジー共とは違って、こっちは自分のちんぽを他人に見られるハードルが鉄パイプを自分のアナルに突っ込むくらい高いんだよ。

醜いか?滑稽か?

笑いたきゃ、笑え。

 

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イルカオナニー

人間の女性は相手してくれない。そんな僕のようなヤラハタが人間以外のメスに興味をもつというのは珍しくない。例えば、ウサギは人間の7倍の性欲を持っているという話を聞き、ウサギの交尾の動画を見てオナニーしてみたなんてYouTubeに投稿してBANされた童貞も珍しくないだろう。

そんな常に性に貪欲な人間がイルカの膣が名器であるという話に出会うのは容易い。名器と言われても、そもそも人間の女性器の感覚がわからないので水族館を訪れ従業員に

「イルカ1匹貸してください。早漏なのですぐ終わります」

と言って、イルカを借りてイルカの膣にちんぽを突っ込んでも快感が相対的なものでなく絶対的なものになってしまう為、思ってた程気持ち良くなかったという感想になる懸念がある。それでも、童貞はそんなシチュエーションに憧れるのではないだろうか。 

「イルカの膣はどんなものなのだろう」

気付けば、そんな好奇心で脳は埋め尽くされる。

 

「イルカとSEXしたい」

 

こんな風に、恋のように気付けばイルカとするSEXする事を考えている。

 

しかし、AIDSの感染源がチンパンジーとSEXをしたゲイの男性という話があるように動物とするSEXは病気の危険が孕んでいる。

1度の快感の為に一生の苦しみを背負える勇気がある人間は童貞にはならない。そんな勇気があれば、ネカマだろうが何だろうが一生フリ素になる事を顧みずに自らのちんこ画像を他人に送り付けてでもSEXをする。勇気もバイタリティーもない人間が童貞になる訳だから、イルカとするSEXを夢見る童貞は、結局夢だけに終わってしまうのが悲しい現実である。

 

そんな、童貞の夢を少しでも叶えてあげようと発売されたのがイルカのオナホールだ。

サイバーイグアナという方が血の滲む思いで作り上げたそのオナホールは発売と同時に鯖落ちし3分で完売したらしい。

需要に対し供給が間に合わないのか、今も在庫は足りておらず、イルカとのSEXに憧れた僕は未だにイルカのオナホールを手に入れられずにいる。

仕方なく、僕はイルカのショーの女性を射精管理するお姉さんと捉え、イルカを射精管理されるオスに見立てる事でイルカのショーを1つのエロシーンとして見てオカズにする『イルカオナニー』しか出来ずに日々過ごしている。

 

 

 

有料記事クオリティ

今や受験界隈や一部大学生からプロ野球の倉本選手や斎藤佑樹選手並みの絶大な人気を誇る早稲浪氏がnoteで有料記事を書きたいと仰っていました。僕はきっと彼なら素晴らしい記事を書き沢山の読者が彼の記事を買うと思っています。しかし、早稲浪氏の事を舐めているイキってて目障りな高2や高1のクソガキ供は

早慶どころかニッコマも受からなそうなホームレスのチンカスレベルの人間の書く記事なんて有料で読むくらいなら、草彅剛が書く『裸で前転する時怪我をしないコツ』や矢口真里が書く『騎乗位している浮気現場を見られた時の旦那への言い訳』や河野玄斗が書く『カッコいい中絶の説得』といった記事に1000円払って読む方が1億倍読む価値あるんだわ。」

とか思っているかもしれません。言いたい事はわかります。しかし、早稲浪氏は僕たち凡人とは違い天才過ぎる為、大学受験レベルでは彼の能力を測れないだけなんです。そこで、彼がどれだけ凄いかをわかってもらう為に彼が有料記事を出す前に普通の人が書く記事がどんなものかを僕が適当にテーマを考えて書いてみせようと思います。そんな長々と書いても仕方ないので1000字くらいで軽く書きます。リプライで「参考書」というテーマを頂いたので参考書について書くとしましょう。

 

『参考書は1冊を何周もやるべき?複数冊を1周ずつやるべき?』

 

大学受験で時に話題に上がる参考書の使い方論争ですが、皆さんはどっちのやり方を推すでしょうか。結論を先に言えば1冊を何周もする方が力は付きやすいと思います。しかし、だからと言って複数冊をやる事自体が間違った勉強とは僕は思っていません。同じ科目で同じ内容を扱ったものなら結局は同じ事をやっているにすぎないのですから、ちゃんと熟せば最終的には力が付くと思います。その上で1冊を何周もする方が力が付くと思う理由を説明したいと思います。

読者の方は本を繰り返し読んだ事はあるでしょうか。本でなくても映画やアニメや漫画などなんでもいいです。これらは1度読んだり観たりするだけでも、大体どんな内容でどこが面白くてどこで感動するか等頭に入ると思います。しかし、もう1度読み返したり観返したりすると『ここの描写が終盤の1つの場面に繋がっていたのか』や『ここの描写にはこんな意味があったのか』と言った2回経験したからこそ気付ける発見というものがあるわけです。同様に参考書でも1冊を1周終えた時どれだけ集中して参考書を目で追ったとしても気付けない事があります。2回3回繰り返す事で参考書の行間まで読み取れたり、1度目では見落としていた事項がある事に気付いたり自分がまだわかっていない事が明確にわかるようになります。そういう意味で1冊を何周もする事の方が力は付きやすいと思います。

しかし、1つ問題はあります。それは単純でモチベーションの維持が難しいという事です。やはり、1冊を1周やるだけでもある程度の知識を入れる事が出来る為、2周目に入ると新しい事が少なくなり苦痛になったり面倒に感じる事もあると思います。それでモチベーションを徐々に失いサボる癖が付いてしまえば意味がありません。そういった人は複数冊やるのもアリだと思います。違う参考書をやれば、最初にやっていた参考書には書いてなかった事や強調されてなかった部分が強調されていたり、やってる内容は同じでも新鮮味があり同じ参考書をやるよりモチベーションは維持しやすいと思います。

いくら、1冊を何周もする事が効率が良いとはいえ、それを誰もが出来ると思って他人にそのやり方を強いて複数の参考書に手を出す事を絶対悪のように捉える事は間違っていると思います。初め1冊を何周もする努力をする事は大事です。2周目に取り掛かりモチベーションが続かないなら他の参考書に手を出すというのが丁度良いと思います。それは多少遠回りになると思いますが受験は最終的に力になってさえいればいいんです。2週間で数3をマスターしたから偉いわけじゃありません。受験本番に数3を使い熟せる事が偉いんです。聞いてるか?デザリング@gaiji_dotcomお前の事だぞ!まあ、お前は数3どころか1A2Bもかなり怪しそうだがな!w 

という事で、参考書は1冊を何周もする努力をした上で複数に手を出す事は問題じゃないと思います。ただし、それもしないで複数に手を出す事は米と卵と塩胡椒と醤油と胡麻油と玉ねぎとチャーシューを同時に食べて炒飯の味を期待するくらい無駄な事です。そこは気を付けるべきだと思います。これから受験勉強を始めるという人は是非とも参考にして頑張ってください。

 

 

まあ、こんな感じですかね。

僕自身、元々参考書コレクターだったのでここでの理念には全く反した事をしていたわけですが、まあ普通の人が書く記事はこんなものだと思います。有料で出せる記事というのがどんなものか是非とも早稲浪氏に期待するとしましょう。

 

ボルト並みの射精

初めて精通を覚えたのは小学校6年生の冬。

中学受験を終え辛い勉強から解放された頃、友達が家に遊びに来てエロ動画を見せてくれた。当時、体操服を着替える女子の裸をジロジロと見て興奮はしていたものの性に関する知識は浅く、その時見せられたエロ動画には衝撃を覚えた。何故男性器を舐めるのか。何故男性器を女性器の穴に挿れるのか。何もかもが僕にとって初めて見る光景であった。知識の無かった僕にとってそれは悍ましさ以外の何物でもなく、すぐその動画から目を離しゲームに興じていた。

 

その夜、僕は精通をした。

 

あの時見せられたエロ動画の衝撃は今も忘れない。女優が美味しそうに男性器を舐め回す姿、女性器に男性器を突っ込まれた時の叫んでいるような喘ぎ声、それらの一部始終全てが脳に焼き付いて離れなかった。ただただ、何故そんな事をするのか不思議で仕方なかった。しかし、1つだけ心当たりがあった。

小学校に入学して間もない頃、初めて登り棒に登った。初め、半分くらいしか登れなかったのだが、半分くらいの所で留まっている時股間を締め付ける事による痒みのような感覚を味わった。その痒みが堪らなく気持ちよく、一時期毎日登り棒に登っていた。

だから僕はその時「股間を刺激すれば気持ちいいのではないか」という仮説に至った。そこで思い立ちお風呂の中で自分の股間を弄り擦っていると、登り棒で味わった時と同じような快感を覚えた。そして暫くすると射精した。最初はそれをおしっこと思っていたが、今思うと紛れもなく精液である。その時、オナニーという言葉は知らなかった。自分で発見した自分だけの気持ち良い感覚、これは革命だと思った。それがオナニーであり皆よくするという事を知るのは、中学に上がって暫くした頃である。しかし、そんな事を知る由もない僕は毎日オナニーをして最も気持ち良いオナニーを追求し続けた。速く擦れば擦る程射精する快感がすぐに押し寄せてくる。それが楽しみで、如何に速く射精の快感に辿り着けるかを追求するようになった。それを続けている内に僕は10秒で射精が出来る身体になった。ボルトが100メートルを走り終え、有名なボルトのポーズをしている頃には僕は精液を床に撒き散らし賢者タイムを迎え世界平和と平等とは何かに付いて真剣に考えているのだ。

しかし、世間では僕のような人間を早漏と言い侮蔑の対象となるらしい。心外である。どうして、日々オナニーを探求し自分だけの最高のオナニーを相棒の右手と共に見つけ出した僕が劣っており、オナニーという言葉を知って試したら射精できた程度の個性もオリジナリティも何もないチンカス同様の人間が優れているというのか。この世界は狂っている。本来優れているはずの人間がマイノリティというだけで劣っていると見做され迫害される。今日、ポルポト政権を知っているか否かで話題になったが、きっとそういった人はポルポト政権もナチスホロコーストも何も知らないのだろう。だから、こんな歴史が繰り返されるのだ。僕は世界に射精を通して訴えたい。早漏こそ正義であると。

 

このブログの途中から賢者タイムに入った事は言うまでもない。