片親の思う結婚観

昨日、キャスで触れた事をこれを機会にブログにも書いておこうと思いました。先に断っておきますが、結構真面目な事を書きます。

 

僕は両親共にアパレル関係で成功を収め、仕事面では有能な両親の下に生まれました。そんな両親が共働きをしていた為、当然離婚するまでは比較的裕福な家庭で育ったわけです。しかし、お金というのは幸せと共に時にはスレ違いを生んでしまうわけです。両親が離婚したのは僕が小学校1年生で7歳になる前でした。ですが、両親のスレ違い自体は僕が4歳か5歳くらいには始まっていたと思います。先程僕は裕福な家庭で育ったと言いましたが、そう感じていた所以の1つに欲しい物はいくらでも買ってくれていた所があります。具体的には、当時流行っていたムシキングのカードで欲しいカードがあればオークションで1万出してお父さんに買って貰っていたのは今でも特に印象に残っています。だから、ムシキングは2004年ファーストから2005年セカンドまでのカードは全部持っていたと思います。それ以外にも、仮面ライダーのベルトなんかは当たり前のように全種類買ってもらっていました。これらは誕生日でも何でもない日に貰っていました。そう考えればお父さんは僕を喜ばせる為だけに100万以上は費やしていた事になります。そんな父親をよく思わない人が1人居たわけです。言うまでもないですが母親です。僕の父親は教育とかではなく高々子供の遊び1つの為に100万以上使う程金遣いが荒かったわけです。比較的裕福と言っても年収が億行ってるような家庭では無かった為、そういった金遣いの荒さは母親にとっては理解し難く、他のもっと為になる事にお金を使って欲しかったのでしょう。そういう母親も一般的に見れば荒い方ではあると思いますが、父親の荒さは理解出来なかったんだと思います。父親が初めてムシキングのカードをオークションで買ってくれた時、僕が1人喜んでいた所、母親が電話越しに父親と喧嘩しているのを見ました。そのためか、父親がムシキングのカードをくれる時必ず僕に言う一言がありました。

「お母さんには内緒やで」

その頃から喧嘩をする姿を見る機会は増えたと思います。「金遣いが荒い」と言っても借金があった訳でも無いですし、家計を大きく圧迫する程のものでは無かったと思います。ハッキリ言ってしまえば、些細なお金の使い道に対する価値観のスレ違いです。3歳くらいの頃までは僕の見ていない隙にキスをするくらい仲良かった夫婦が、そんな些細なお金の問題をキッカケに喧嘩が増え、ある時から別居するようになり、果ては離婚するにまで至ったわけです。母親からは後に離婚した理由を聞くと「パパの金遣いが荒かったから」と答えられましたが、やはりそれはキッカケに過ぎないと思います。金遣いの荒さをキッカケにスレ違い、相手の行動1つ1つが癪に触るようになり、顔を見れば喧嘩をし、もう一緒に居られないと判断した結果でしょう。それでも我慢して一緒に居るのが結婚という契約だろうと言う人も居ると思いますが、両親共にこれ以上子供の前で喧嘩をするのも辛かったんだと思います。

 

これは離婚するまでの過程の一例ですが、途中の価値観の相違からスレ違い続けている家庭は結構多いと思います。離婚と言うと、相手が浮気をしていたとか借金があったとか、必ず大きな理由があると思う人も居ると思いますが、今言ったような些細な理由の積み重ねが離婚に繋がるケースもあるわけです。これを考えた時、結婚相手に1番優先すべき事は価値観の一致または理解だと思います。金銭面だけではありません。味覚や趣向、思想や倫理観、子供の教育方針等、全てに於いて相手の価値観と一致または理解が出来ないと幸せな家庭は築けないと思います。少しでも相手の理解出来ない一面が見えてしまった時、そこでひびが生まれやがて大きくなり、結果仲を引き裂くキッカケとなってしまうわけです。ですので、この人と結婚したいと思った時、その前に相手の価値観を出来るだけ把握しその理解に努める事が大事だと思います。

そういう意味では30半ばで婚活して、身の丈に合わない相手を理想としているようなおばさんは、例え結婚出来たとしても幸せな家庭は中々築けないと思います。価値観というのは育ちが大きく影響します。高学歴や高収入の人物に裕福な家庭で育った人が多いのは紛れもない事実です。そして、その裕福な環境でまた人一倍努力もしてきたわけです。そんな人間からすれば、育ちも良くなければ大した努力もして来なかった癖に相手に求める理想だけは高いような女性の価値観なんて理解し難いものがあるでしょうし、容姿が気に入り男側が結婚を決断したとしても、数年後きっとそれがキッカケにスレ違うと思います。結婚相手というのはアクセサリーではありません。お互いが相手を慮って理解し合える、そういう関係を築ける相手こそが理想の結婚相手としてあるべきで、そういう人を見つける事が結婚して上手くいく最低条件だと思います。

 

以上が片親である僕の思う結婚観です。

ロシアなんかでは離婚は前向きなものと捉えられているようですが、それは本人達の自己満足であり離婚の正当化だと思っています。離婚して環境が変わって1番被害を被るのは子供です。これは人によると思いますが、父親も母親も好きな子供にとったら両親と中々会えないというのは辛い事ですし、ある日から突然貧しい暮らしを強いられるのは納得し難い事です。この考え方が少しでも流布すれば、将来生まれてくる子供が辛い思いをする事も減るんじゃないかなと思っています。

 

 

 

趣味

プロフィール欄に必ずとある趣味という欄。いつも僕はここに、読書やアニメ鑑賞や自分のちんぽを舐める為のストレッチ等当たり障りのないことを書いて済ますのだが、これを読んでくれている読者は何か趣味はあるだろうか。まあ、これを読んでいるような人はどうせ浪人生が大半なので、本屋で参考書漁りやパチンコや酒やタバコといったクズを体現したような趣味を持っている人が殆どであろう。そんな人らとは相まって僕の本当の趣味といえば、剥製標本のような成金趣味なんかよりも遥かに高尚である。

 

ずばりそれは

 

「毛を抜く事」

 

である

 

は?と思う人も居るかもしれない。如何せん、僕の趣味のレベルはハイレベル過ぎるため、酒タバコパチンコなんかを趣味とする底辺からすれば雲の上の趣味だろう。だから、僕はそんな君らに完全に理解して貰えるなんて、かけらも思っていない。理解出来ないなら「残念だったな」と一言告げるだけだ。

さて、毛を抜く事と言うが具体的にどこの毛を抜くかという話だが、僕の場合は乳首毛、髭、スネ毛の3つである。同じ趣味を持っている人は、おいおい鼻毛と陰毛はどうしたなんて言ってくるだろう。確かにそうだ。このラインナップを見て鼻毛と陰毛が無いのは些か不自然かもしれない。しかし、これは僕なりの理由がある。まず鼻毛は単純で僕は鼻毛がそんなに多くないのが大きい。だから、真剣な話をしている時に鼻毛が出てるせいで台無しになったという経験も泣くふりをする為に鼻毛を抜いてみたなんてことも事もない。その分確かに、鼻をかんだ時に抜ける立派な鼻毛はへその緒と共に保存したい気分になる為、鼻毛を抜く趣味に理解が無いわけではない。そしてもう一つは陰毛であるが、これは正直趣味と言うに等しいのかという疑念があるというのが問題である。男なら当然陰毛を抜く事はよくあるだろうし、女性も自分のまんげを抜いて料理の隠し味にしたり、素麺にしたり素揚げして食べたりすると思うので、陰毛を抜くという行為は謂わば日常生活の一部である。毎日、トイレに行くからと言って人はトイレを趣味であると言うであろうか。答えは否である。実業家の小山吾郎氏が

「趣味とは人生の逃げ場である」なんて言っていたが、正にその通りで陰毛を抜くというのは日常の一部であり人生において逃場となり得ないのだ。だから、僕は毛を抜く趣味に陰毛は入れなかった。ご理解頂けただろうか。

また、他にも毛といえば髪の毛や眉毛など毛は色々あるが、これらは単純にハゲたりヤンキーになるのが嫌なだけで嫌いなわけではない。

 

さて本題といこうか。この毛抜き趣味を少しでも理解していただく為に僕はその趣を語っていこうと思う。

 

まず男なら誰でも抜いたことはあるだろうスネ毛から語っていきたい。スネ毛というと定番なのがガムテープをスネに貼る罰ゲームで、他にもスポーツをやっている人なら足にテーピングを貼り剥がす時にスネ毛が沢山抜けて痛かったなんて経験はあるのではないだろうか。

そんな経験をした人からは、スネ毛を抜くなんて頭おかしいのではないかという批判をを浴びそうではあるが、まずは僕の話を聞いて欲しい。僕もガムテープやテーピングの時にスネ毛が抜けるのは好きでない。なら、どんなスネ毛の抜き方が好きかと言えば、男でスネ毛が濃い目の人はやった事があるかもしれないが、まず掌を使いスネをグリグリと時計回りでも反時計回りでも好きな方向に回すと毛玉が複数出来る。この毛玉を思いっきり抜くのである。毛玉をそのまま抜く為、当然1度にスネ毛は10本くらい抜ける。痛くないのかと聞かれればちょっと痛い。しかし、毛玉となったスネ毛を一気に抜いて机に乗せると、机の上に蚊が止まってるように見える光景は、ヴァトナヨークトル氷河よりも遥かに美しい。そして、丁度スネ毛を抜いた部分がハゲ山のように浮かび上がるのもまた趣がある。また、ここでは1度に多くの毛が抜けるというのがスネ毛の特徴だ。スネ毛以外で1度に多くの毛を抜けるものは髪の毛と陰毛くらいだが、髪の毛なんてまとめて抜こうものならその部分だけ10円ハゲが出来てしまい、そんな10円ハゲが頭の至る所に出来てしまうと髪型が水玉模様になってしまうかもしれない。流石に、女の子も髪の毛が水玉模様の男は嫌であろう。それくらいはヤラハタの僕でもわかるってものである。陰毛はさっき言った通りトイレ行くくらいの日常的なものなので、あまり趣というものは無いと思う。

スネ毛抜きは男の特権だと思う。毛玉を作るにはある程度毛の長さが必要であり、女性のように無駄毛処理を定期的に行っている人は毛玉を作ってスネ毛を抜く事は出来ないであろう。女性も大変だなと思い、僕は今日も毛玉を作り抜き続ける。スネ毛を抜く瞬間は僕が男に生まれて良かったと思う瞬間の1つだ。因みに、僕が男に生まれてよかったと思う瞬間を他にも挙げるなら、『継母の連れ子が元カノだった』でブヒれる瞬間だろうか。てことで、紹介しておく。

 

継母の連れ子が元カノだった 昔の恋が終わってくれない (角川スニーカー文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4041076846/ref=cm_sw_r_cp_api_i_ByF5DbDKQV83D

 

 

さて、残りは髭と乳首毛だがこの2つはスネ毛とは違い1本抜く事に趣がある。

 

まず髭だが、僕は遺伝的なものなのか髭は薄い方で顎髭が生える事は中々無かった。初めて生えたのは高校2年生か3年生の頃だったと思う。特に意味もなく顎を触っていたら、ある違和感に気付いた。ニキビでも出来たのかなと思いずっと触っていると、どうも出来物っぽくなく、暫く触っていてそれが髭である事に気付いた。人生で初めて生えた髭だったので僕は舞い上がり、いち早く人生1本目の髭を拝みたいと思い、鏡もその場には無かったので指を使って抜こうと試みた。しかし、髭は短いので絵本の『大きなかぶ』の如く中々抜けてくれなかった。何度も髭を見失いながら、漸く髭が抜けた時の快感は今でも鮮明に覚えている。僕はあの日をもう一つの誕生日としているくらいだ。それ以来僕は髭を抜く快感が虜になり、髭が生えるたびに時間を掛けて抜いていた。毛抜きで抜くとすぐ抜けるのだが、やはり何度も空振りしてやっと抜く快感には到底及ばない。だから、僕は毛抜きは使わないようにしている。しかし、テスト中なんかに新たな髭を見つけてしまうと地獄である。全く集中出来ない。ただでさえ試験時間との闘いであるのに、髭を抜く事に気を取られていては最早テストどころではない。この趣味に興じるならば、テスト前日は髭を剃る事を忘れないでいただきたい。

 

そして、真打登場乳首毛である。

乳首は男の第2の性感帯と言われる為、スネ毛なんかよりも乳首毛はずっと痛いのではないかという疑問があると思う。ところがどっこい、意外な事に太めの乳首毛は痛くないのである。逆に細めの乳首毛は少し痛いので気をつけて欲しい。乳首毛が生えるのは髭よりも早かったと記憶している。恐らく初めては高校1年生で風呂の中で乳首に太い毛が生えている事に気付いた。何となく1本だけ生えているのも気持ち悪かったので抜く事にした。乳首毛は髭とは違って毛の生えている部分がちゃんと見えている為、抜くのは容易かった。しかし、僕は乳首毛を抜いた瞬間目を疑った。なんと、自分の抜いた乳首毛はそれを抜く前に見えていた毛の長さより、遥かに長く2倍以上の長さを誇っていたのである。それを見た瞬間身体中に電流が走り、筆舌に尽くし難い感動が一気に押し寄せてきた。それ以来、乳首毛を抜く事はやめられなくなった。定期テストの時1番前の席で受けていたのだが、テスト中に乳首毛を抜いていると女の先生に「何乳首触ってんの?」なんて言われ、恥ずかしい思いをした事もあった。それでも僕はやめられなかった。乳首毛を抜くたびに、思ったより長いその毛をうっとりとしながら眺めるのは何とも趣深い。

 

毛を抜くと毛が濃くなるという話があるが、強ち間違いではないと思う。事実、最近乳首毛というか胸毛が沢山生えてきた。この前、上半身裸でリビングを歩いていると母親に「胸毛生えてるやん。パパも生えてたし遺伝するんやな。」と言われ離婚した父親とSEXをして自分が産まれてきた事を暗に示され吐き気を催した。なら、髪の毛を抜けばハゲの対策になるかと言われるとそうでも無いっぽい。僕と同様に毛抜き癖がある同級生で髪の毛をよく抜いてた奴は若干ハゲていた。人間の身体とは実に都合の悪いものである。

 

まあ、そういうわけで僕の趣味である毛の抜く事を長々と語ったわけだが、如何だっただろうか。少しは僕の趣味を理解していただけただろうか。男なら特に今日から乳首毛と髭とスネ毛を是非とも抜いてみてほしい。毛抜きは金のかからない趣味である。辛い時悲しい時死にたいと思った時はこれをモチベに生きていくといい。次はどんな美しい毛が生えてくるだろうかと日々楽しみにして生きていく事で、モノトーンである人生にも彩りが生まれる。そんな彩りある日々を生き、読者が死ぬ時に自分が今まで抜いてきた乳首毛と髭とスネ毛を思い浮かべ、良い人生であったと笑顔で死ねる事を僕は心から願っている。

学歴詐称?

この人のツイートが流れてきました。

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ふざけたブログを書いてばかりいると、お前は下ネタしか言えないのかとか小学生みたいなんて裏で言われてそうなので、偶には真面目な話でもしてみようかなと思いました。

 

さて、このゆめという人の話ですが30後半にして婚活とかやってるババアの典型って感じで面白いですね。大体、彼氏に学歴拘るなら簡単な話で自分が高学歴になれば良い話なんですよ。女性からすれば大体の大学は男性の方が多いわけですから、高学歴になれば高学歴の男性とは沢山付き合える機会があると思います。36過ぎて未だ婚活して相手が低学歴だったらガッカリするような小もない女の事なので、この人に学歴なんて聞いても高卒か専門学校が良いところでしょうね。偏差値50くらいの大学なんて大学受験してたら少なくとも聞いたことくらいはありそうなものですが、聞いたことない時点で大学受験なんてした事ないんでしょう。その癖彼氏には学歴求め、批判には低学歴と煽るその姿勢最早尊敬の眼差しを向けたくなる程です。自分が何故高学歴と付き合えないか理解した方がいいですよ。別に学歴が全てとは言いませんが、相手に高学歴を求めるのならば自分はその高学歴と対応する魅力を持っているのですかね。この人は、恐らく否でしょう。36で婚活なんてしてる残飯が高学歴と簡単に付き合える魅力を持っているなら、この人をおかずにオナニーしてやってもいいですよ。認めた方がいいですよ。お前は高学歴と付き合える魅力がないって社会に言われてるんですよ。まだ、20代なら希望はあったかもしれませんが、36のババアは現実を見たほうがいいですよ。ババアのように学歴に拘る女性は20代でも沢山いるわけです。もうすぐ閉経してそろそろドモホルンリンクル使わないとお肌の怪しいおばさんと20代の若い女性どっちに魅力があるかまず考えた方がいいですよ。そんな事も考えられない頭の弱さじゃ高学歴と付き合えても、話を合わせるのが苦痛で20分で別れを決断されますね。そういやこの人ってバツイチらしいですね。納得w

 

最後に一言

 

京都大学も高学歴じゃないですよw(ここで炎上)

SEXする夢を見た

一昨日の事である。何かが違っていた。ヤラハタの自分がどういう訳かショートヘアで少し小柄の女の子の裸と対峙していた。だがその子はマグロで全然動こうとしない。「おい貴様、童貞のワイにリードされたいって言うんか?夢見るのも良い加減にしろ。童貞が1番やって欲しい体位は対面座位や騎乗位で女に犯される事なんだぞ。」なんて言う事も出来ず、とりあえずちんぽを勃たせ、TENGAプレミアムの経験を生かし勿論生で挿入してみた。やはり、童貞。当たり前だが入れた瞬間射精した。しかし、彼女は気付いていない様子。神経をまんこに研ぎ澄まさずに受け身になってるから気付けるはずのものも気付けないんだ、と風俗に行って物申してくるおっさんのような説教をしてやりたかったが、そんな事がこの状況で出来るなら20歳まで童貞のはずがない。チキンなので「ごめん、緊張して折れちゃった。でもすぐ勃たせるからちょっと待ってね。」と言い「フンッ」とダンベル何キロ持てるのトレーナーの街雄鳴造のボディビルの如く一瞬でちんぽを膨らます。1日5回オナニーしてた日々の努力が初めて実った。継続は力なりとはよく言ったものである。気を取り直してSEXを再開すると、特に面白い事もなく2回目も中出ししてしまい終了。終わってから、妊娠させてたらどうしようと悩んでいると、Twitterを見たらヤラハタイジリをされていた。しかし、もう童貞ではない僕は反応に困っていた。とある同人誌でデカチンであだ名がでっちんであった主人公が、同じクラスの女の子に屋上でちんぽ見せてと頼まれその流れで童貞を卒業した後、友人に「でっちん」と呼ばれると「ふっ、でっちん…か」なんて言ってその場を去るシーンがあるが、その時の主人公の気持ちが20になってやっと理解出来た気がした。とりあえず無視する訳にも行かないと思い、「童貞ワイ、慶應に入ればSEX出来るかな」とズミ仮面のような摩擦係数0の滑りをかますと、当然その人からはブロックされ、TwitterでもあいつSEXしたぞと噂され、家ではお赤飯を炊かれ、高校の同級生からはコップに入った液体がおしっこか緑茶かなんてクイズを出された。僕はその時確かに非童貞の世界を見た。自分が一段上の存在に立った気がした。でも本当にそうだろうか。微かな違和感が拭えない。大体本当に童貞を卒業出来ているのだろうか。例のマグロの女は全く喘いで無かったぞ。そして、肝心の入れた感触はTENGAプレミアムそのものだった。あれはTENGAじゃないのか?もしそうだとしたら恥ずかしすぎる。童卒したと思い込んで妊娠の心配してたけど、実際はTENGAに中出ししただけだったとか中二病でも恋がしたいの森サマーが中学時代その辺の草を薬草とか言ってムシャムシャ食ってた事より黒歴史である。それでも、ちゃんと童卒してた場合包茎のままだとウェイやヤリマンに馬鹿にされかねないので、包皮を剥いておこうと皮に手を掛けたその時、目を覚ました。

 

「あぁ…夢か。」と朝一番の賢者タイムをギンギンに朝勃ちさせながら迎えた。

ピザって美味しいよね。

今日ピザ食べてる時にTwitterを見ていたら、身体の相性は結婚する上で1番大事であるみたいなツイートが流れてきた。なるほど、確かにそうだ。僕は、よくエッチな体験談を読むのだがその中でも特に好きな妹と同居してSEX三昧に明け暮れ、その内2人の性癖が加速し2人のSEX姿を見せたいとネットで見つけた女の目の前でSEXし、その女ともSEXするようになり3人でSEXライフを送り、最終的には2人とも妊娠をさせて子供を産ませるのだが、あの3人はとても幸せそうだと体験談を読んでいて感じる。恋と嘘の世界では幼少期から様々なアンケートを取り性格的に相性の良い2人を結ぶゆかりシステムというのがある。これは少子化対策法の為に導入され、このゆかりシステムによって結ばれた2人から生まれた子供は運動やスポーツ様々な分野において優秀な子供が生まれ、その世界では誰もがゆかりシステムを利用していた。しかし、このシステムには穴がある。男というのは性欲に正直だ。もし突然小学6年生の女の子が「ねぇおじさん暇?」と声を掛けて来られたら、小学6年生だから浮気にはならないという謎の線引きをして初潮もまだな小学生に中出ししまくるものなのだ。だから、僕は考えた。通称:オナホシステム ここに登録した女性は膣型を男性はちんこの型を取り、ディルドとオナホを作製する。そこで最も気持ちいいオナホ、最も気持ちいいディルドと結婚すれば、例え小学生に誘われても「いや、お前の型のオナホそんな気持ち良くなかったし笑」と断れる。SEXの相性は結婚の相性である。ドイツに居そうなサンベルシュタインみたいな人も多分そう言ってる。是非ともこのシステムをいち早く導入し、日本の少子化を脱却する事を僕は願っている。

しかし、1つ問題がある。それは、風俗業の衰退だ。まだ、AVはプレイの確認やAVを布団の中に隠して見つかるという茶番プレイに使われるだろうが、風俗は違う。最高のSEX相手が見つかってしまっては風俗なんて行く気にならない。せいぜい、パンツ持ち帰って嗅ぐくらいしか価値が無く風俗業の衰退が懸念される。それと同様に、女子高生も援交も出来なくなるのである。これは大変だ。Twitterで偉そうに風俗嬢の気持ちなんて誰も聞いてないような事を述べて注目浴びようとしてる、馬鹿の癖に主張したがる女どもが自分の存在価値を見出せなくなり、ビルの屋上から前逆さ宙返り3回半抱え型で飛び降り自殺してしまいそうだ。しかし、自殺なんて今でも日本中至る所で起こっている。死因第1位が癌でも脳梗塞でも肺炎でも無く、自殺であるという悲しいジョークが生まれるくらいだ。未来のある若人が人間関係の問題や家族の問題などで精神的に追い詰められ自殺に走ってしまうのは悲しい現実であるが、未来なんて全くない今稼げる事に胡座をかいて「お前らより稼いでる」なんて言い張ってマウント取ってくる女なんて自殺したところで知ったことかって話である。悔しかったら、風俗業以外で稼げるように努力しろバーカ。

と、まあ話は長くなりましたが、今日の夜ご飯はピザでした。美味しかったです。

科学は未来を明るくする

おしっこから煉瓦作製をするという研究を知っているだろうか?これは、僕が今最も注目している研究である。2018年11月南アフリカケープタウン大学の研究チームが人の尿を使った「れんが」の開発に成功した事を報告した。この記事を見たとき僕はケープタウン大学の留学について少し考えた。おしっこで作るレンガの技術を日本に持ち帰り、本田望結ちゃんに沢山ハーブティでも飲ませておしっこを沢山出してもらい、本田望結ちゃんのおしっこレンガで家を建てたいという兼ねてからの夢があったからだ。この研究が成功した事を聞いて夢に一歩近付いた気がした。しかし、南アフリカに留学する程家庭は裕福でない為断念。それでも、僕はきっとおしっこレンガが普及し本田望結ちゃんのおしっこで暮らし、毎日レンガの壁を削り取ってご飯にふりかける生活を諦めちゃいない。この研究を日本でも取り入れ、より少ないおしっこからより多くのレンガを作る技術を極めるよう尽力して欲しい。頼みますよ、文部科学省財務省

日本もこの研究に税金を費やせば、きっと日本の未来は明るくなる。毎日新聞だって毎日デイリーニューズWaiWai問題で日本人は変態であるという実態を何の根拠もなく海外に報じていたではないか。まさにその通りだ。日本人は変態だ。おしっこレンガが出来れば毎日おしっこレンガふりかけご飯が食卓に並ぶはずだ。おしっこレンガは日本人に再び笑顔を取り戻し、未来を照らす今世界で最も注目されるべき研究なのだ。

ここで1つおかしな事に皆は気付いたのでは無いだろうか。何故レンガに拘るのかと。本田望結ちゃんのおしっこレンガより、本田望結ちゃんのおしっこを飲んだ方が味わいは深いのではないかと。確かにその通りである。僕もそれは考えた。でも、冷静に考えてほしい。本田望結ちゃんがおしっこを飲ませてくれるだろうか?無理だろう。だから、本田望結ちゃんからおしっこを獲得する大義名分が必要だったんだ。日本の未来の為と言えば本田望結ちゃんも喜んでおしっこを提供してくれるだろう。そして、提供されたおしっこを隠れて一気飲みして「おかわり!」と言ってもう一杯おしっこを貰いたい。

頑張れ

突然だが生きている中で辛いと感じた事はあるだろうか?

ここで無いと答える人は殆ど居ないと思う。どれだけ恵まれ幸せな家庭に生まれたとしても、友達と喧嘩すれば辛いし、異性に告白して振られると辛いし、iPhoneの画面が割れようものならこの世の終わりのように感じるかもしれない。このように辛いという感情は生きている中の様々な場面で起こり得る。些細な事から大きな事まで様々な辛さを乗り越え今僕らは生きている。しかし、本当に辛い場面に直面した時人は考えるのである。「何故こんな辛い思いをしてまで生きないといけないのか。」と。会社が倒産したり、多額の借金の保証人になったり、イジメを受けて電子辞書を壊されたり、事象はそれぞれ異なるにしても、そういった本当に辛い場面に立った時人は「死にたい」と思うのである。そこからエスカレートすると、「自分が死んだ所で誰も悲しまない」なんて言って自殺を本当に試みようとする人もいるかもしれない。

そんな時に「もう頑張らなくていい」という言葉を浴びせられた時に、心持ちが軽くなるように感じる人がいるのはおかしい話では無いと思う。

 

しかし、僕は敢えてこの言葉を言う。

 

頑張れ。

 

生きる意味について考えた事はあるだろうか?

恐らく殆どの人が一度は考えた事はあるであろう答えを出すのが難しい哲学的テーマの1つである。よく「どうせ死ぬんだから頑張っても意味ない」とか「人が1人死んだ所で世界は回り続けるし、生きる事に意味なんて無い」なんて事を言われる。確かにそれは事実である。

だが、それは本当に正しいだろうか?

単純な話、生きる意味を考えて「生きる事に意味なんてない」と結論付けて前に進むのか?どうせ死ぬんだから、第一志望に行けなくてもいっかと受験勉強をやめるのか?どうせ死ぬんだし、最低限の暮らしさえ出来ればいいからずっとフリーターで良いやと思うのか?そんな人は中々居ないだろう。

人は生きる中で具体的なものから抽象的なものを含め夢や目標という物を持つ。サッカー選手になりたいとか、医者になりたいとか、単純にお金持ちになりたいとか、その辺のニートだって非現実的な野望染みた目標みたいなものを持っているものである。これらを夢や目標の部分集合と考えた時、夢や目標の全体集合は「幸せになりたい」じゃないかと思う。どんな目的であっても、どんな下心があろうとも、本質の部分には「幸せになりたい」という考えがあるのではないかと思う。幸せというのは簡単にはやって来ない。朝満員電車の椅子に座るという些細な幸せを掴む為に、早めに家を出るという努力を要する。幸せな家庭を築く為に、最良の相手を見つけ最良の相手に最良の相手と思われる努力を要する。勿論、外を歩いていたら逆ナンされて生中出しさせて貰えたという思いがけない幸せもあるだろうが、多くの幸せというのは自分で掴みに行くものである。

「頑張らなくていい」それは現状からの逃げでしかない。頑張るから人は幸せになれるし、頑張るから人は前に進むんだ。「何故生きるのか?」と聞かれて「自分が幸せになる為」ではダメだろうか?人はどうせ死ぬ。確かにそうだ。だが、それを認識したら何だって言うんだ。100年とも満たない長いようで短い命を精一杯生きて振り返った時「生きてて良かった」と思える生き方をすればいいじゃないか。例え、歴史に名を刻めなくとも、他人に比べて自分の死を悲しむ人が少なかったとしても、自分自身が最後に満足出来る人生を歩む事が1番大切だ。その為には「頑張らなくていい」という言葉に惑わされず、幸せを掴む為に頑張り続けて欲しい。辛い、死にたい、もう頑張りたくない、そんな風に思う場面は必ずやってくる。その時「逃げ」というのは選択肢としてアリだと思う。しかし、「頑張らない」という「逃げ」の選択肢は選ばないで欲しい。意味は全く異なるが、ソクラテスの言葉を借りれば善く生きて欲しい。人生なんて大きな自己満足だ。人の役に立ちたいというのも見方を変えれば自己満足だ。その自己満足の為に、僕はもう一度読者に向けこの言葉を言う。

 

頑張れ。