ボルト並みの射精

初めて精通を覚えたのは小学校6年生の冬。

中学受験を終え辛い勉強から解放された頃、友達が家に遊びに来てエロ動画を見せてくれた。当時、体操服を着替える女子の裸をジロジロと見て興奮はしていたものの性に関する知識は浅く、その時見せられたエロ動画には衝撃を覚えた。何故男性器を舐めるのか。何故男性器を女性器の穴に挿れるのか。何もかもが僕にとって初めて見る光景であった。知識の無かった僕にとってそれは悍ましさ以外の何物でもなく、すぐその動画から目を離しゲームに興じていた。

 

その夜、僕は精通をした。

 

あの時見せられたエロ動画の衝撃は今も忘れない。女優が美味しそうに男性器を舐め回す姿、女性器に男性器を突っ込まれた時の叫んでいるような喘ぎ声、それらの一部始終全てが脳に焼き付いて離れなかった。ただただ、何故そんな事をするのか不思議で仕方なかった。しかし、1つだけ心当たりがあった。

小学校に入学して間もない頃、初めて登り棒に登った。初め、半分くらいしか登れなかったのだが、半分くらいの所で留まっている時股間を締め付ける事による痒みのような感覚を味わった。その痒みが堪らなく気持ちよく、一時期毎日登り棒に登っていた。

だから僕はその時「股間を刺激すれば気持ちいいのではないか」という仮説に至った。そこで思い立ちお風呂の中で自分の股間を弄り擦っていると、登り棒で味わった時と同じような快感を覚えた。そして暫くすると射精した。最初はそれをおしっこと思っていたが、今思うと紛れもなく精液である。その時、オナニーという言葉は知らなかった。自分で発見した自分だけの気持ち良い感覚、これは革命だと思った。それがオナニーであり皆よくするという事を知るのは、中学に上がって暫くした頃である。しかし、そんな事を知る由もない僕は毎日オナニーをして最も気持ち良いオナニーを追求し続けた。速く擦れば擦る程射精する快感がすぐに押し寄せてくる。それが楽しみで、如何に速く射精の快感に辿り着けるかを追求するようになった。それを続けている内に僕は10秒で射精が出来る身体になった。ボルトが100メートルを走り終え、有名なボルトのポーズをしている頃には僕は精液を床に撒き散らし賢者タイムを迎え世界平和と平等とは何かに付いて真剣に考えているのだ。

しかし、世間では僕のような人間を早漏と言い侮蔑の対象となるらしい。心外である。どうして、日々オナニーを探求し自分だけの最高のオナニーを相棒の右手と共に見つけ出した僕が劣っており、オナニーという言葉を知って試したら射精できた程度の個性もオリジナリティも何もないチンカス同様の人間が優れているというのか。この世界は狂っている。本来優れているはずの人間がマイノリティというだけで劣っていると見做され迫害される。今日、ポルポト政権を知っているか否かで話題になったが、きっとそういった人はポルポト政権もナチスホロコーストも何も知らないのだろう。だから、こんな歴史が繰り返されるのだ。僕は世界に射精を通して訴えたい。早漏こそ正義であると。

 

このブログの途中から賢者タイムに入った事は言うまでもない。